第1期 1990年秋頃
たまたまテレビをつけたら、日本人のサルサバンドが、本場キューバに渡り大活躍している、という内容のドキュメンタリーで、そのサルサバンドは、オルケスタ・デ・ラ・
ルス。
サルサのことは全く知りませんでしたが、素直に彼らのことを偉いな〜、凄いな〜と思い、また街角で踊っているキューバ人達が、人生や生活を楽しんでいる様に見えて、自分もあんな感じになりたいと思いましたが、当時
の鹿児島にはサルサのサの字もなく私にとってのサルサは、休日に部屋を掃除するときにかける音楽として
12年続きました。
第2期 2002年10月〜2003年11月
2002年3月に、橋本に開業しました。橋本は縁もゆかりも無い土地で、1人で働いて1人で生活していると
人恋しくなり業界以外の同世代の人と知り合いたくて、習い事をすることになりました。
しかし、仕事のスケジュールと合うのが無く、残ったのが八王子カルチャーセンターの、料理教室とサルサ教室でした。
料理は1人でも出来るけど、サルサは2人以上じゃないと出来ないので、友達を作るには、うってつけだし、サルサは音楽として親しんでいたので、サルサを習うことにしました。
半年間、1人で寂しい思いをしていたので、業界以外の同世代の人達と触れ合うのと、習い事も、18歳で止めた空手以来(型専門)だったので楽しくてしょうがありませんでした。
しかし、下手でした!ほとんどの生徒は、初級コースを2クール(半年)でクリアして中級コースに進むのに対し
私は3クール(9ヶ月)かかりました。
サルサ教室はLAスタイルだったので、欲を出して2003年10月〜キューバンサルサの教室にも通うことになりました。
第3期 2003年12月〜2005年5月
2004年4月に、毎月、表参道で行われている日本最大のサルサパーティーこと、サルホのパフォーマンスに、LAサルサの教室が出ることになり、総勢23名の中に
なぜか選ばれてしまいました???
いくら男性が少ないとはいえ、どうして自分が選ばれたのか今でも不思議です。
週2回程、文化祭の様な、「スターかくし芸大会」の様な猛練習があり、通常のサルサレッスンも含めると
月の半分以上はサルサということが、5ヶ月続きました!
本番は、もちろん大成功!5月は、ライブハウスの原宿クロコダイルでもパフォの機会に恵まれました。
同じく5月に、LAで行われるサルサ最大の祭典、「サルサコングレス」にも行きました。(遊びですよ!)
第4期 2005年6月〜現在
1年半にわたり集中的にやっていましたが、2005年4月のパフォを終えたのを良い機会とし、外のことにも
目を向けようと思いサルサの教室は卒業しましました。
最近は、月に1〜2回踊りに行く程度です。技にこだわらずシンプルに踊るのが好きです。
【参考】
※多摩地区のサルサ情報
多摩地区のサルサレッスンやイベントに関することが分かります!
※
カサダンサ
我が故郷、鹿児島でもサルサが習えます!
◎ ダンスって良いな〜! 自分も、ああなりたいな〜と思わせた映画
「ザッツ.エンターテイメント」T.U.V
かっこいいのに、今も昔もありません!特に、Tが良い!
自分が、どんな絵が好きだとか思いつくままに書いてみます。
あくまでも、観る専門であって描くことは、ど下手なのでありえません!
最初に、この絵良いな〜と認識したのは8歳、小学3年のとき、黒田清輝の「読書」でした。
窓から差し込む光が、とても印象的でした。
次に、感動したのが、13歳、中学2年の春、東山魁夷の「道」これは感動しただけでなく、こんなにシンプルに
描いても良いんだ!と、思ったのを覚えています。
17歳のとき、近所の鹿児島市立美術館で、ゴッホ展があり、「アイリス」を観た瞬間、燃え立つ様な生命力を
感じました。
19歳のとき、現代美術展で、岡本太郎の「遊ぶ」これは、強烈でした!!!
作品の前に立つと、強風を感じるんです!それまでは、岡本太郎は、変なおじさんで、変な作品を創る人に
過ぎませんでしたが、これを機にいっぺんに好きになりました。
ここまで、読んでくると、子供の頃からずっと絵が好きな様に思われるかもしれませんが、むしろ好きなのは
映画でした。
15歳〜24歳まで、毎年、80本位観て、鹿児島で上映される映画の中で観ないのは、ヤクザ映画とピンク映画と宮崎駿を除くアニメ映画で、家族や友人が呆れるくらい映画を中心に生活してました。
そんなときに、映画評論家の淀川長治が、「映画は総合芸術だから、幅広く物事を知らなきゃダメだ」と、いったので、展覧会等に努めて足を運ぶようにしていたのですが、鍼灸学校5年の夏に、半年後の資格試験の準備のためバイトを辞めました。
しかし、勉強する習慣がないので時間を持て余してしまい、暇つぶしに、すべての展覧会に行く様になり
やがて、それが習慣になり、気がつけば絵が好きになっていました。
22歳の春に、ダリの半生をえがいた「ダリ天才日記」という映画を観たのですが、
そこで紹介される、彼の絵、工芸、映像、すべてが良く、映画の面白さも手伝い、大好きな画家の1人になりました。
1994年4月、24歳の時、鍼灸の勉強のため上京しました。
たしかに、真面目に勉強しました。しかし、最初の1年間は、暇さえあれば、または暇がなくとも暇を作り、映画と展覧会等に行きまくりました。
幸せでした! 鹿児島の映画ファンと絵画ファンに申し訳ないとも思いました。住所の高田馬場から、上野
銀座、新宿渋谷、恵比寿、六本木、通いましたね〜!映画は、1年間で150本位観ました!
しかし、芝居と歌舞伎に行けなかったのが悔やまれます。
26歳の秋に、テレビで、ジミー大西の特集がありました。
そのなかで、「ジャングルの目」という作品を観たとたん、全身に電流が走りました!!!
ジミーちゃんの絵は、自由でオリジナルの塊だ! 彼の青い色がすきです。 ジミーちゃんの青はアフリカの青だ!
2002年に、東急文化村で、ミレーを中心とした自然主義の展覧会がありました。
ミレーといえば、必ず教科書に載っていますが、自分は良いと思ったことはありませんでした。
しかし、原画を観て納得しました。
一言で言うと、うまいのです!巧みなのです!あれだけの技術とパワーで農村を描いたのは、初めてだったんでしょうね。
でも、ミレーより、30年くらい後の自然主義の作品を観た後、ミレーの作品を見直すと、ミレーがデッサンしていないことが良く分かります。
同じ年の秋に、「小倉遊亀展」に行きました。
彼女の絵は、あまり好きではないのですが、彼女が亡くなる何ヶ月か前に描かれた、最後の作品が印象に
残りました。
椿の絵でした。枝の先に一輪だけ咲いている絵でした。構図は、シンプルなんだけど生命の勢いを感じます。
亡くなる寸前に生命を表現するところに、ぐっときます。
展覧会の楽しみは、原画を観ることです。
原画には、作者の「ほとばしり」があります。言い換えれば、「志の高さ」です。
「ほとばしり」を感じると、体が熱くなります!
良い絵の条件は、「ほとばしり」と「オリジナル」だと思います。
技巧は、2の次だと思います。(技巧が大切なのは重々承知しております)
ここ、数年の1番の出来事は、2006年の10月にローマに行ったこと!
4泊6日でしたが、ローマのはとバスと地下鉄と徒歩で旧市街を制覇しました。
街のすべてが、美術館のようでした。
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